カオスな音楽考察集と投稿動画集(旧SUB BLOG 1)

音楽の事をあれこれ考察したり、弾き語り〜独りバンドの動画公開(否カルト)

ケチをつけているわけではありませんが「ケセラセラ」考察

===2025.01.26加筆修正===

オリジナルはドリス・デイがヒッチコックの映画「知りすぎていた男(1956年)」の主演女優として主題歌にこの楽曲を歌い日本ではペギー葉山(1956年:音羽たかし訳)と雪村いづみ(1956年:井田誠一訳)の日本語歌唱でヒットして更には・・・(多すぎるので以下略)

ドリスデイ版:歌詞
ペギー葉山版:歌詞
雪村いづみ版:歌詞

正い解釈だと「映画内」での使われ方では「未来がどうなるかは分からないけれど、なるようになる(ほぼ直訳)」という歌詞がそのまま使われていますが、映画全体(特にその歌詞の部分が使われたシーン)から解釈すると「なるようになる」よりも「現状を受け入れた上で行動する」とか「希望を持ちながら現状を耐える」のような感じになりますかね。

あ、「ミセスグリーンアップル」に喧嘩を売っている訳ではありません。全面的に「解釈補助」をしているつもりです。

基礎知識として知っておいていただくと「正しい引用の裏(真)の意図」が見えてくる(楽曲の理解度が深まる)のではないかと思うのです。

なので「ミセスグリーンアップル」はこの「ケセラセラ」の「真の意味」をしっかりと捉えた上で、全体の歌詞を「前向き」にした上で、最後に「ケセラセラ・なるようになる」と締めくくり「熱意を持って全力で立ち向かうことが大切で、その後に起きることは自分ではコントロールできないので身を任せるしかない」という「信念を決めたんだから、あとは力まずに気楽に行こうぜ。他人の言う事になんて惑わされないでな」みたいなメッセージで終わらせるという「巧みな引用」をしているとも解釈できるのではないでしょうか。

(これは「ミセスグリーンアップル」を精一杯褒めてるつもりですが、ファンではないのがオレのカオスなところです)